商内ニは実意を以て格別高利を貪り申間敷候事なり

塚本孝左衛門家の家訓・人生訓塚本定右衛門家の一統である塚本孝左衛門家に、「規則守福路」嘉永元年(1847年)が残されており、家訓形式「塚本家掟書之事」や人生訓「人の道、天の道」が記述されている。

規則守福路 (一部紹介)
家訓 「塚本家掟書之事」一 銘々身分の分限可相弁候事
一 無益之殺生致間敷事
一 仕入物定品之外時流光物、又は甚奢り極候品、猥に買入致間敷事
一 旧来之外新督意(得意)初候ハ、懸方初度之払悪敷候ハヽ、二度目之商内急度遠慮可致、両度目之勘定不埒ニ候ハ、三度 商内停止致、精々以自談(示談)取片附事、猶旧来之督意(得意)も右之心得可有之候事
一 諸勝負事遊芸堅致間敷候事
右之条々ハ、当家之掟故必等閑ニ相心得間敷候、精々心を込め相守家業出精可致候、且又不合点之儀有之候ハヽ、先斐(先輩)之者ニ承り銘々其分限相守無益之費冥加之程忘却致間敷候、花美ハ前条定有候通リ当家之大禁物也、他家花美なるを見ても倹を守りて浦やミ申間敷候、商内片一切心懸、諸品時之相場上リ下リ相糺候而売り々可致候、右之規方自他共猥リに致候者ニは急度越度可申付候、(中略)人に応答致候ハヽ、行儀正敷礼儀を調ヘ柔羽ニして無理非道之筋聊申間敷候、猶商内ニは実意を以て格別高利を貪リ申間敷候事なり

一 各自の身分・身のほどををわきまえること
一 無益な殺生(むごい仕打ち、殺人)は厳禁である
一 通常定めた仕入れ品以外の、流行品または非常に贅沢な品をみだりに買入れすることは厳禁である
一 古くからのお客以外、新得意先は初回の支払が悪く滞ったときは、二度目の商いにおいてはきっと申し訳なく思い支払をきちんとするであろう。但し2度目の商いにおいてもまた不埒にも支払が滞った場合には、三度目の商いは停止すること。つとめて示談(書面?)でもって処理しておくこと。古くからのお得意先にもこのように心得ておくこと
一 勝負事や遊芸は堅く禁ずる

この条文は、当家の掟を定めたものであり、いつでもひまにまかせて心得ることではない。きちんと心を込め精を出して家業を守るように努めること。

かつ、また不明なことがあれば、先輩に聞くなど、各自その分限(身分)を守り、浪費をせず冥加を忘れないようにすること。

はなやかで派手なことは、前条に定めたとおり当家は大禁物である。他家がはなやかな様子であったとしても、うらやむことなく倹約を守ること。

商いをする者、一切を心がけること。商品類をその時の相場変動(上がり下がり)の組み合わせで売り続けることを自他共に勝手に行う者は、必ず過ちを犯すことになるであろう。

(中略)

人に接するときは、行儀正しく礼儀を調え、心やさしくし、決して無理や非道な道理を言ってはならない。なお、商いは本意をもって行い、高利を貪ってはならない。

「人生訓」(一部紹介)一 天道好還と申て車の輪のめくるかごとし、何事ヲ致すにも人の為なりと思ふべからす、人の事なりと思ヘハ物ごとにうき事(憂い事)思ふて早く退屈(気持ちが後退)し怠りをなして勲功遂かたし、己(おのが)働の事ハ皆己か事にして、いつれへも行ずして終にハ己に帰る物也、ゆへに積善の家にハ必有余慶、積不善の家にハ必有余殃と聖人も迎られき、......

自然のめぐり合わせにより、日々太陽が東から昇って西に沈み、毎年春夏秋冬の繰り返しがあると同じく、人の行う行為も車の輪が回るように、何事を行うにしても人の為と思ってはならない。

他人事と思えば、いつまでも続くものでない。自分の行う行為はすべて自分の行為であり、「人の為」ではなくすべて「自分に帰る」ものである。

従って、善行を重ねている家には必ず幸福となる。善行を怠る家には必ず災難がつきまとうので、すぐれた人材も迎えることができない。

商いの基本姿勢...塚本定右衛門家

神崎郡川並出身の塚本定右衛門家の初代定右衛門定悦(じょうえつ)が、甲府で小間物問屋を開業した文化9年(1812年)に創業。初代は、得意先の利便・利益を図る対応が、自分にとっての富の源泉であるとして、天保10年(1839年)51歳の時に詠った教訓歌で、自分の利益を遠くに見据える商道を教えてくれる。

おとくいのまうけ(儲け)をはかる心こそ我身の富をいたす道なれ

家業を継いだニ代目定右衛門定次は、明治という新時代に適応した体制を築くために、明治2年(1869年)の正月に商いの基本姿勢を示した「家内申合書」を制定した。

座右の銘......〔薄利廣商

「家内申合書」★顧客満足の徹底追求
一 旅方においては、御得意先のため派口のよろしき代呂物を大山にして、売りきれ物なきやう注意し、御注文の節は、聊たりとも捨置かず、はやく御間に合せ申へし、御店へ参上の時、行儀正しく御店中をはしめ出入方迄も厚く敬ひ申すべく候、万一間違事出来候とも、高声に争はず、その時の重立たる人に談しあひ、不都合これなき様にはからふへし、左候えば、天理として自然に商ひ高も増し、随て利益も多かるべきに付、能々相心得へし

行商先では、得意先のために品質の良い商品を十分に用意して、売り切れのないように配慮し、注文はいささかも放置することのないよう、早く間に合わせるようにすること。

得意先のほうから来店した場合は、店員や出入り職人も礼儀正しくしなければならない。

万一、商談の際に間違い(行き違い)があったとしても、声高に言い争いをすることなく、上司の店員と相談して不都合がないように処置すること。そうすれば、売上高も自然に増加して利益も増えるものと心得ること。

★予期しない災難に遭ったときの対応
すべて物ごと手堅く致し候とも、思ひの外なる損失来る事あるものに候、古今の歴史に鑑みて知るべし、いかなる因によりてか、いかなる縁によりてか、道を守る善人も窮することのあるも世の習ひに候へば、その不仕合の重なりし時に及びても、常々の心を乱すべからず、必ず道に背き、規則を越えるなどの事有るまじく候、投機商類似を羨(うらや)むべからず、一時に利得を得んとして、却て多分の損失をまねく事あり、深く恐るべし、商家の極意は信用を重んじ内外の好評を得るにあり、ただ我身を慎み諸事を約(つづ)めにし、ますます稼穡(かしよく)をつとむべし、然れば家内和合して、天道に合ひ気運徐々に開くべし、永久の心得を相続する人この理(ことわ)りを知るべし

堅実に商売をしていたとしても、予想外の損失を蒙ることがあり、昔からそうであったことを知るべきである。

どんな因果によってか分からないが、いかに道を守ってきちんと生活している善人であっても、重なる不幸に遭遇することもあるのが世の中である。

その時になっても、平常心を忘れてはならない。

商いの道に背いて規則を破る事のないようにし、決して相場や賭け事をうらやましい・手を出したいと思ってはならない。

一時的に儲けようと狙ったとしても、逆に大きな損失をまねくことがある。

深く恐るべし。商家の極意は、信用を重んじて内外の好評を得ることである。

身を慎み、諸事を倹約し、ひたすら家業に励むこと。家の者は互いに和合しながら時節の到来を待つことで、やがてそれが天道に合い、気運が徐々に回復するというのが永久の心得、「ことわり・道理」であることを知ること。

★明治21年5月18日、二代目定右衛門定次63歳は、商家の経営姿勢についての述懐もある。
一 (前略)人を欺むき短尺無幅等の物品なと用ゆへからず、只潜心実地の商業大切にして長久をはかるへし、投機商類似を羡む(うらやましがる)へからず、目下の利を見るも損また大ひなり、物の盛なるは衰ひやすく、商家の極意は信用を重んし内外の好評を得るにあり

短尺物や無幅物など、人を欺くような商品を取り扱ってはならない。
ただ、地道の商売を大切にし、永続性を図るべきである。
投機や一攫千金を狙う商いをうらやましがってはならない。
目先一時的に利得があっても、損失もまた大きいものである。
勢いのある物はまた衰えやすくもあり、商家の極意・本質は、信用を重んじて内外の好評を得ることにある。

★明治33年3月1日付、二代目定右衛門定次の「遺言書」に、次のような条文がある。
一、神仏を敬ひ学事を心懸ること、人道なれども何れ(いずれ)にても過ごせば其身の家業怠り、おのづと異形の人の様になり、神道にたより過ぐれば禰宜(ねぎ・神職の職称)、巫(みこ)の様になり、洋学は徳義を誤り人をあなどり、儒学は理に屈し、仏に心ざし過たる者は出家の如くおのづと商ひ疎く(うとく)なり家滅す、各々それぞれの家業あり、然るに外の事に気を移し代々の家職粗略に致す事神仏の冥慮に叶ふべきや、又神仏の為に金銀財宝を投打ち数多(あまた)の費へ致す事、大きなる非がことならむか、神仏は其人の心に在り、然れば社寺の為に金銀を費すより眷属(けんぞく・身内の者)を賑(にぎ)はし恵む時は一粒万倍の利又功徳広大ならむ、然るをめぐむべきを恵まずして徒ら(いたずら)に僧尼をこやすは非がごとならずや、誠を以て神仏に向ひ奉らばなどか感応なからん、能々(よくよく)此旨存ずべき事

神仏への信心や学問への傾倒も度を越すと、本来の家業を怠ることとなり、正体のつかめない異様な品源となってしまう。

家業を粗略にしながら、高額の金銀財宝を神社仏閣に寄付することは間違いであり、いたずらに僧尼を堕落させるだけである。

神仏や学問は、人の道として敬意ははらわねばならないが、まず家族のことを配慮しながら伝来の家職に励む誠をもってこそ神仏にかなう道である。

盛岡の近江商人:初代 村井市左衛門孝寛(浄甫)

盛岡は、明治維新を迎えるまで代々南部家が藩主を勤めてきた。初代村井市左衛門孝寛(浄甫)は、幼少期を高島の大溝(近江高島商人発祥地)で過ごした後、兄の源太郎が住んでいた盛岡・南部に下った。万治元年(1658年)に、本町にあった兄の店を引き受け相続し、同時に兄は郷里の大溝に戻ったとされる。延宝4年(1678年)に初代市左衛門は、商圏拡大のために、本町の店を手代に任せ新町へ店を移すことになった。

この初代が子孫のために残した遺言状には、延宝元年(1673年)とされ、初代村市家が盛岡に来たのは、近江商人としては早い時期である。特異なことは、盛岡の南部藩が高島大溝出身の近江商人に対して商家経営を勧めたという事実である。当時、商業の先進地とされた上方の情報を盛岡城下にもたらす商人を求めていたのである。盛岡の近江商人は南部藩によって地元商人よりも優遇され、他地域の近江商人よりも大規模な商業を展開した。

「御遺誡」延宝元年(1673年作成)」 初代:村井市左衛門孝寛(浄甫)人富則奢(ひとふめば 則ち おごる)
奢則背礼(おごれば 則ち れいにそむく)
背則人悪(そむけば 則ち 人ににくまる)
悪則災来(にくまるれば 則ち 災いきたる)
来則成損(きたれば 則ち 損となる)
成則家貧(損となれば 則ち 家貧し)
貧則人賤(貧しければ 則ち 人いやし)
賤則起欲(いやしければ 則ち 欲起る)
起則為邪(起これば 則ち 邪をなす)
為則身亡(なせば 則ち 身亡ぶ)

「遺言状 延宝元年(1673年作成)」 初代:村井市左衛門孝寛(浄甫)一 仏教に信心を致し、天道に止どまらず、神をおろそかにせず、五常を専らたしなみ、主人父母に忠孝を尽くすべき事、
一 御公儀は大切なる御事に候、御法度の趣、堅固に相守るべき事、
一 家をたて、身を立てんとおもう者、まず身の養生第一に心がけ、召使に至る迄、煩い為さざる様に覚悟仕るべき事也、病人となりては何事も思う願いあるまじき事、
一 生商売の家、その業二六時中に、油断無く心に懸け、身に行い、時を考えべき事第一也、諸人にあいきょうを元とし、他力を頼み、一身の利発かりにもたてず、朝暮売買に工夫致すべき事、
一 手代下々等迄、その気分に応じ情をかけ、是非奉公仕るべくと存ずる様に使うべき事専一也、若し不届きなる者之有れば、手代は申すに及ばず、名跡たるとも雖も(いえども)よくよく見届け、愍憐(あわれみ)を加えず、急に追い出すべく、遅ゝに及べば必ず家失亡致すべき事、
一 欲深き商人は家あやうし、また諸芸を好み、家業に怠り、必ず身を失なわん事うたがいなし、かくいえばとて、諸事うちすて、その業ばかり勤めよというにもあらず、家職を第一に心がけ、余力有るときは、諸事に心を少しはよせても然るべきか、何事も家業の外に深く執心無用たるべき事、
一 早利商之有るときは、世上の沙汰よくよく聞き届け、十の内七ツ八ツ思案にあたり候えば、片時も遅ゝに及ばず買取り申すべき事、さりながら、一旦利得たると雖も、欲心深くなり、重ねて家職のそなえ、違うものなるべし、よくよく心得有るべき事、
一 世に切物(彫刻物)を待ち合、上り物ならば、百のうちまず三ヶ一払い、また上り候はば、三ヶ一払い、残って三ヶ一にて重々のあがりさがりを見るべき事、とかく欲深きは損多かるべき事、
一 主人たる者、よくよく人を見、その品々に使うべき事第一なり、まず我が身持ちを嗜(たし)なまざれば、仕置立つ間敷き事、
一 十人並に世を渡る時は、人毎に奢心あるものなり、生ある者盛衰元より、具足なれば、さかんなる時、おとろえの来たらん事を兼ねて思案致し、かりにも人に粗略有る間敷き事、
一 見世に於て、碁・将棋・双六堅く無用たるべし、尤も(もっとも)一切の勝負は勿論の事、
一 公儀・順義・衣服・家材・食物等身上に応じ仕るべきか、しかし、七分に然るべきものなり、段々見代は、事広くなりもて行く物に候えば、かねて分限より不足に仕るべき事、
一 金は国土の宝なれば、分に応じ天道より預り物なり、さある時は、私の栄怙には一銭もつかわれ間敷き事、
一 子孫にはまず浮世五常(仁・儀・礼・智・信)をゆずるべし、材宝はともかくもの事、
一 諸事に過ぎたるに及ばざるは、うとましき事なるべし、必ず中と忍の二字、朝暮願心致すべき事、
右、十五ヶ条の趣、寓意にまかせ、言跡のかたみともなれかしとおもうばかりに書侍り、跡を次ぐ者、よくよくこの旨を相守るべき者也、他人に対し紙面を表す事なかれ、
よって遺言状、件の如し、
  葵
延宝 元歳
  丑 村井氏
市左衛門
孝寛(花押)
文月十五日
子孫へ参

神仏や五常(仁義礼智信)をおろそかにせず、主人父母に尽くすこと。御公儀は大切であり、法律や規範を堅固に守ること。

立身・出世を志す者はまず身の養生に心掛けることであり、病人となっては何事もできない。

生商売を扱う商いは一日中、油断無く心掛け、行動や時間を考えることが第一である。

愛嬌をもとに、人の力を頼りながら自分自身の利益を考えることなく朝暮ずっと売買に工夫をすること。

下位の者まできちんと情をかけ、仕事を継続したいを思ってもらうような使い方をする。

もし、配慮の足りない者がいれば、手代はもとより家名を継ぐ者であってもあわれみを加えずにすぐ追い出すこと。

手遅れとなれば必ず家が滅亡する。欲の深い商人は危うし。

また諸芸を好んで家業を怠れば、必ず身を滅ぼすこと疑いなし。

だからといって、仕事だけに専念すればよいわけでもなく、家職を第一に心掛け、余力のあるときは少しは諸事をしてもよい。

何事も家業の外に深く執着することは厳禁である。すぐに儲かる商いは、情勢をよく把握し、10ある内の7つ8つの思案があれば、すぐに買い取ること。

しかしながら、一度儲けたからといってさらに欲心が深くなる。

さらなる欲心は、家職の備えとは違うものである。

そのことをよくよく心得ておくこと。

値の変動する刀剣彫刻類を手に入れるときは、値の上がる物なら100の内、まず3分の1を支払い、さらに上昇すれば3分の1を支払い、残額3分の1で値の上がり下がりを判断すること。

とかく欲深きは損失が大きくなる。人それぞれに奢りがあるものである。若くて元気な時こそ、いつか衰えの来ることを思案して、絶対、人に粗略であってはいけない。

主人たる者は、よく人を見て適才適所で使うことが第一である。

近江商人:四代目 矢尾喜兵衛の所懐(思うところ)

「金儲けさえすれば、家が長続きするというものではない」

「凡世間の習ひハ、只金儲けさへすれハ身代よくなりて其家も長久するやうニ思ふ人八九分もあり候得とも、全左様の事ニ而ハ無之候」 所懐
世間一般は、ただ金儲けさえすればその家が長続きすると思う人が8割・9割もいるが、まったくそのようなことはない。

近江国蒲生郡日野出身矢八尾喜兵衛家の創業は、初代喜兵衛が39歳で同郷の矢野右衛門家から別家を認められた寛延2年(1749年)である。矢尾喜兵衛は、武蔵国秩父郡大宮郷に酒造業と万卸小売業を主家との乗合商いの形態で開店した。以来、250年を経て、現在は埼玉県秩父市において、株式会社形態の矢尾本店と矢尾百貨店として存続している。同家は、乗合商いという合資形態の店を、関東地方に判明しているだけでも通算16店展開した。
四代目矢尾喜兵衛は、手習いのために9歳で寺に入り、やがて石門心学に傾倒していった。その言動は、「勤倹謙譲」そのものであった。
この矢尾喜兵衛の所懐(しょかい)は、「岩城枡屋店掟写」の後半部分に記述がある。この「岩城枡屋店掟写」は、天保10(1839年)亥年2月7日に四代目矢尾喜兵衛が京都新烏丸の旅館柳屋庄兵衛方において写し取った家訓である。末尾には、この岩城枡屋店の家訓と比べて所懐(喜兵衛の思うところ)を書いたものであろう。

「矢尾喜兵衛の所懐」 意訳一 総じて勧善懲悪(善事を勧めて悪を懲らしめる)の道を常に志して、兄弟親族をはじめ奉公人や出入の者には不好であっても常時、説き聞かせるようにすること。そうすれば、将来において勧善懲悪の道理をわきまえるようになる人も出てくる。

善を説き聞かせ善行をすることは、世間のため人のためであり、これを見過ごしてはならない。生まれつき教えを身につけようとしない者は、善事と聞くと、すぐにやきもちを焼き、話をさえぎったり、そしったりする。

さらには、十にひとつも穴を見つけ出してそのところをつけ込んであざけり、軽んじる気風もあるものだ。そのような者は、さて困った迷惑者である。

この人たちは、おそらく12~13歳より20歳位までのところであろう。その者たちを人によく仕込んでもらえば、勧善懲悪と仁義の道理もまかなえるであろうに惜しい事である。

孟子も人の性は、本来「善」であると言っているが、そのためには教育が必要である。「性相近く習相遠し(人の性は生まれた時にはあまり差はないが、習慣や受けた教育によって違いが大きくなる)」というように手習いより徐々に知恵が付き善人に近づくことができる。善性と悪性を合わせ持つ人間は善にも悪にも変化するため、大善・大悪にもなりやすいと思われる。

その人の志を知るためにはその人の友達関係を見ることという故人の金言があるように、友を選び、強欲にならないよう、贅沢に流れないよう、単なるケチに傾かないよう、自分の事は自分自身では知り難いものである。自分の行いを知るには、自分の交友の行いをよくよく見て我が身の行動を考えてみることである。

一 勧善懲悪の教えを守ることは、加えて人の道を教えることでもあり、ありがたいことである。

さて今日、天地の間に存在する物は、天の恩恵と地の養育によるものである。決して人の力だけで生み出されたものではない。この冥加を拠り所とすることを知る人は、どのような物であってもすべて天地から借用するのと同じことである。借り物である以上、粗末に扱ったり損じたりして物が失われてしまうことを恐れ慎まなければならない。

とにかく天地の間にある物は、どんな品であっても減らないように心掛け、物の効用を尽くし、仮にも無益のことに浪費してしまわないように始末*すること。これが冥加を知ることであり、天地への奉公である。日頃、常にそのことを心掛けることは、かなり善心がなくてはならず、自分の心をつくし身をつくすことを要するものである。

家内一同がこの冥加を知るようになると、万事が都合よくなり、自然に物が豊かになるものである。物事を損得だけで考える人は、理詰めには見えても冥加の真意もあることを考えるべきであり、すべて損得だけを考えてできることではない。
*始末とは、その物の効用が無益になるようにまで使い切ることをいう。

一 昨今の風潮は、ただ金儲けさえすれば身代は良くなって家も長久(長く続くこと)するように思っている人が8~9割もいる。しかしこれは間違いであり、まったくそのようなことはない。百姓は。世間のため国のためになる有用な作物をたくさん作り出すからこそ転職であり、それが冥加というものである。

欲得から初茄子(なすび)ひとつに金一分というような高価なもの、奢侈(しゃし・ぜいたく)にかかわる高値の品物ばかり作り出す農家は農人の転職を汚すものである。百姓本来の冥加をわきまえ、耕作を大切にする農家は子孫も長久するものである。

職人も国家の実用に役立つ品を作り出すように努めるならば、天意にも冥加にも叶うであろう。家財にも無益な品物がある。奢侈(ぜいたく)な者が、もてあそぶだけの何の用にも立たない高価な品物を作り出すのは、たとえ人目を驚かすほど腕前の職人であっても、人々を贅沢に向かわせるだけであり、国家の役立つ安価な品物を作る職人にはるかに及ばない。

商売人は扱う商品がさまざまで一慨には言えない。国家の実用の品を商売する者を上商人と呼ぶ。何の役にも立たない無益の品を売り出す商人が多く、100人の内80人は無国用の商人である。国家の為、人の為と思って無益の品を売り出してはいけない。

今日国家の実用品を商売する者は、利は薄いが天地の意に背かない商家なので、子孫も繁昌して家内長久のきっかけになる商人である。一方で世上の人々を奢侈に引き入れる商人や、善人を不善人にするような商人もいる。

また、質素な人も奢侈に向くようになると、いつとなく薄情になって私欲が深くなり、後には大奢り者に偏ってしまい、「何品不風雅の何品ハ面白味か有」といった国用の品に疎い気風となり、風流の品を国の必需品でもあるように思って、国用の品を商売する人物を軽蔑することになる。

元来、商人というものは、お客から商品の価格に応じてお世話代として口銭をいただき、そのお陰で一家や奉公人を養い育てているのである。だから品物をよく吟味し、もし品質が悪ければ値段を下げて口銭もできるだけ薄く売り、一度入来したお客が喜んで再訪したくなるようにすること。これ、「正直」と「薄欲」の2つにある則(きまり)にあるところなり。

商家の主人の本意は、「仁」ということを心底に持って、奉公人に正直の功徳を熟達させ、礼儀も徐々に説き聞かせ、家内和順して、奉公人が一家の主に育って主恩に感謝するように成長することである。

一 人の道というのは、ただ「忠孝」のみである。その心をうやまい、その身を慎み、これ以上のことはなく、忠孝の道は神仏の信心または慈悲善根布施供養といえども及ぶところではないが、聖人の言にあるように、「言ふ事の難キニあらす、行ふ事の難し」道である。

「商主心法 道中独問寝言」店主の心構え  四代目 矢尾喜兵衛

嘉永6年(1853年)に記録された「商主心法 道中独問寝言」は、四代目矢尾喜兵衛が、道中の合間に店主の心構えについての想念をまとめた文言集で386箇条からなる。  (一部抜粋)

人のものは人のもの、我物は我ものとかたくする人は、諸事不義理なし

奢侈(しゃし)と吝嗇(りんしょく:何でもむやみの惜しむ)は表黒白の相違見へて元同根也、おごる者は必しはし、しはき者(けち)は必おこる(奢る)、是小人の甚き(苦痛)也

弟子を抱きたれば、孝悌(てい:兄や目上の人に素直につかえる)忠信の御教は格別の事、商いの道より先正直の道と物の始末(倹約:使い切る)を教ゆべし

始末倹約して出来たる金子は身代の大黒柱、但し倹約と簡略と吝嗇と此三ツを弁(わきまえる)ふべし

人に物を借る事を苦労に思ひ、何道具物にても曲らさるやう筋目形りに取置する人は、大直人也、懇意にして益あり

倹約を守りものこと始まつよく、ものゝすたらさるやうに心懸居るはよし、只勘定詰にして簡略にはかり心懸居るはよろしからす、商人の身分たりとも多人数を扶持する身は、諸事倹約の中にも公の心持有事をよしとする也

世の中に陰徳を積程の功徳はなし、陰徳あれは必陽報あり、と古人もの玉ふ也、此陰徳を行ふにも種々様々名々あれと、商人たる者は品物を能(よく)吟味致し薄利に売出すか陰徳の随一たるへし、然る時は必子孫長久の種なるへし、又陰徳の上を行功徳と言ふは、必定忠孝の二ツ成るべし

地商人の主人より他国商売の主人は、その身の取締、心の敬み又格別に得心すべき事、他国渡世の身代は一旦不如意に及ぶ時に、再度持起こす事、余程出来難きもの也、能々心得有べき事

商人の主たる者他人子を抱へ給金賄ひ等出すといへとも、これ我か渡世の上なれは尤もいたわり有へき筈の事也、我愛子も他人の愛子も親として子の愛かわる事なし、無理非道の事は申及はす、時におゐて辛抱安からすといへとも、猶(なお)行末の一大事のみ思遣り、偏に人の人たる処へ至らしむる事、主人たる人の第一心得事なり

人のものは人のもの、自分は自分のものときちんと区別できる人は、何事でも正しい筋道・守るべき道を誤ることはない。

贅沢とケチは、表面上は違っているように見えても根本は同じである。度を超えた贅沢(奢り)をする者は何でも惜しむケチであり、またケチな者は必ず奢る者である。これが器の小さな人間の苦痛事となる。

弟子(丁稚)を採用したければ、目上の人に素直に仕える「忠信」の教えはもとより、「商いの道」よりも先に「正直の道」と「物の始末(倹約:効用を最大限に活かし、使い切る)」を教えること。

倹約して築いた財産は、身上の中心・拠り所である。ただし、「倹約」と「簡略(手抜き)」と「吝嗇(何でも惜しむケチ」、この3つ(違い)をきちんとわきまえること。

人から物を借りることは苦痛に感じて、借りた物を壊さないように丁寧に扱う人は、大いなる普通人であり、仲良くしてもよい人である。

倹約を厳守して物の効用を使い切るように心がけることは良い事である、ただ、何でも金銭を出し惜しむ結果、簡略(手を抜く)することを心がけてしまうのはよくない。商人のの身分であっても多人数を扶助・取り扱うのである。諸事を倹約することは、物の効用を活かし人を活かすことであるから、「公」という心の持ち方を良しとすることである。

世の中に「陰徳善事」を積む以上の功徳はない。陰徳があれば次に必ず陽徳があると古人はおっしゃっている。この「陰徳善事」を実行する方法はいくつかあるが、商人たる者は商品をよく吟味して薄利(良質安価)でもって売り出すことが「陰徳善事」である。

その行為が、必ずや子孫永続の基となる。また「陰徳善事」の上位に「忠孝*」という功徳から成る。(「商いの道」よりも、まず「人の道」である) 
*「忠孝」とは、忠義と孝行であり、根本では同一の道徳とされる。孝行が完全なら忠義も全うできるという近世後期の水戸学派が説いた。

地商人(地元現地の商人)の主人よりも他国で商売する主人(近江商人)は、自己管理をきちんと行い礼を尽くし、またこれらをよく承知すること。他国で商いを行う身代は、一度思い通りにならない事態に及んだ時に、再度やり直しをすることはかなり困難である。そのことを、よくよく心得ておく事。

商人店主が他人の子供を採用し給金を支払う立場であっても、親切に世話をするべきである。自分の子も他人の子も親として子の愛は変わるものではない。

無理を押しつけたり人の道にはずれた仕打ちをしてはならない。時には辛抱が大事でありそれは簡単なことではないだろうが、店主は奉公人の行く末を考えて偏った人格にさせないように教育することが、店主の人としての第一の心得である。

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