「先義後利栄」でなかったのか?

......ちょっとショックで長文の「まえがき」......

史料を探しても「三方よし」という言葉は出てこない近江商人を語るとき、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」という精神が、いつも真っ先に出てくる。出版物には必ずと言ってよいほど書かれている「三方よし」である。

「三方よし」という言葉が、実際に近江商人の誰かが発言したり、家訓に書かれていたり、共通言語となっていたとか、歴史的な史実として存在していたと理解している人も多いかもしれない。

しかし、近江商人の活躍した江戸時代や明治時代などの家訓や遺言書、口伝(くでん)等には、「三方よし」という言葉はどこにも見あたらない。また、史料(限られていることは否めない)を見るかぎり、すべての近江商人が「三方よし」を実践していたかというと、そうでもないことが分かる。

史料からは、近江商人が勤勉であること、正直であること、徹底した倹約、堅実な商い等、そして、「陰徳善事」を実践するという商売の精神に支えられていたことを読み取ることができる。

他国での商いである近江商人は、自分たちは「よそ者」という意識が強く、地元商人とは違うと心得るようにと、日頃から従業員に諭していたのである。商いは、自分の事だけを考えるのではなく、地域の人たちに必要・有用な存在であることにつながってこそ永続的な経営が可能だと考えた。

人知れず良い行いをして見返りを求めないという「陰徳善事」という精神が、商売地域での社会貢献のあり方として適切だと教えてくれる。また、それを実践したところに近江商人たるゆえんがある。

近江商人が実践したことは、「三方よし」という理念で共通することから、一般的な用語として使用されるようになった。

「三法よし」という理念を示す原典となった史料として、「宗次郎幼主書置」が有名である。近江国神崎郡石馬寺町(現:滋賀県五個荘町石馬寺)の麻布商、二代目中村治兵衛(法名:宗岸)が妻と子に先立たれ、幼主の宗次郎へ「書置」を記したのは1754年(宝暦4年)11月。この「書置」には、家と家業の存在を15歳の幼い養嗣子の教え諭さなければならない中村治兵衛家の事情があった。この書置の8番目の条文には、次のように書かれている。

「宗次郎幼主書置」
「一 たとへ他國へ商内ニ参候而も、此商内物此國之人一切之人々皆々心よく着被申候様ニと、自分之事ニ不思、皆人よく様ニとおもひ高利望ミ不申、とかく天道之めぐみ次第と、只其ゆくさきの人を大切ニおもふべく候、夫ニ而者 心安堵ニ而身も息災、仏神之事常々信心ニ被致候而、其国々へ入ル時ニ、右之通ニ心さしをおこし可被申候事、第一ニ候」

たとへ他国へ行商に出かけても、自分の持参した衣類等の商品は、出向いていったその国のすべての顧客が気持ちよく着用できるように心がけ、自分のことばかり計算して高利を望むようなことをしてはならない。

先ず、お客さまのためを思って計らうことを優先すること。行商の結果、利益を得れるかどうかは天の恵み次第であると謙虚な態度であること。ひたすら商品をお届けした地方の人々のことを大切に思って商売をしなければならない。

そうすれば、天道にかない、心身とも健康に暮らすことができる。自分の心に悪心の生じないように、神仏への信心を忘れないこと。持ち下り行商に出かける時は、以上のような心がけが一番大事なことである。

「先義後利栄  好富施其徳」

「先義後利栄」とは、商売を行うには人の行うべき正しい道(道理)をわきまえた行動をしていれば、利益は後から付いてくる。
目先の利益より遠い先を見越して商いをすれば栄えるという意味である。さらに「好富施其徳」と続き、その得た富に見合った「徳」を施しなさいと諭している。
近江商人:西川庄六家 家訓

2011.3.11東日本大震災があって、その後なにか喪失感が漂い、さらに不確実な世の中となっている感がある。このような時代においても、なお売上成果を追求するために、やたら(不必要なくらい)事業規模の拡大を重視する経営も数多く存在する。規模の拡大そのものは否定しないが、急激な拡大志向は新たな問題点を生み出すことが懸念される。

ある経営者は、「もっと会社を大きく、それも素早く大きな規模と売上増を目指さないと生き残れないし、顧客サービスだって十分にできない。だから、今は売上目標を目標時期までに全力をあげて達成できるよう頑張らないといけない」とおっしゃったことをよく覚えている。私は、「量に目がくらんで質を妥協する経営には未来はない」と信ずる経営者である。

いつになったら、顧客サービス・従業員サービスを提供できるのだろうか?規模が大きくならないと十分な顧客サービスができないのだろうか?つい、そう思ってしまう。

顧客サービスが売上・利益増よりも後回し、という経営者の考え方が非常に気になった。
売上目標を達成できたとしても、すぐに、さらなる売上目標設定を優先していくであろうことは、容易に想像がつく。

拡大志向をいったん立ち止まって顧客サービス重視を展開するには非常に勇気のいる経営判断を要する。それは、目先の成果ではなく長期視点を要求されるからである。また一定の売上目標が達成できると、さらなる増収に向けて利害関係者の周辺からさまざまな誘惑を背負い込むことにもなる。

売り手の規模の拡大志向が、買い手である消費者(顧客)にとって、公正な情報開示や立場がきちんと守られ、結果として顧客満足となっているだろうか?売り手だけが満足して、消費者不在となっていないだろうか?
さらに、売り手と買い手が利して、それが世間(社会)にとっても利するような「三方よし」となっているだろうか?まことに危ういことである。

このような時代こそ、先人たちの生き方に学ぶことも大切なことである。そこで、江戸中期から現在に至るまで、全国規模で商業活動を展開していった近江商人の経営について注目することにした。

昔も、自然災害や身分制度、政治事情など、数多くの経営を阻害する要因があったであろう。そんな厳しい社会環境の中から、地道かつ着実に成果を上げ、人材育成や事業の永続性を維持することのできた近江商人の経営とはいったい何であろうか?商売のあり方・原点・極意を振り返って確かめてみようと思う。

先人の知恵、商いの極意を知る...近江商人:外村與(与)左衛門

近江商人の商家では、明確な経営理念を持っていた。商いのやり方をいつも確認できる経営理念は、経営を行う上で重要な要素である。商売の原点や勘どころを知る上で、十代目外村與左衛門が安政3年(1856年)正月に制定した家訓「心得書」が非常に参考となり、読み返すたびに思考の拡がりを感じる。

外村與(与)左衛門家は、金堂村(滋賀県五個荘町金堂)の篤農家で、五代目照敬が元禄13年(1700年)に19歳で初めて麻布の持ち下り行商*を試みたのが商い※の最初であった。

*持ち下り商内(あきない):近江商人は、地場産業と結び付いた行商である。地元から国外へ行商に出かけるときは、近江国内の特産品を持って下り、帰路は、出先の特産物を仕入れて販売しながら持ち帰るといった、行きと帰りの両方で販売活動をする「鋸商内(のこぎりあきない)」を行っていた。この効率的な商法を持ち下り商内と呼ぶ。成功が見込めれば他国へ出店して販路を拡大していった。

※この商法の注目すべき点は、小売り行商ではなく、商品を大量に取り扱うことのできる卸売業であったことである。 目的地の有力者に馴染みができると、荷を馬や船で送りつけておき、自分は後から天秤棒(てんびんぼう)に身の回り品をくくりつけて乗り込み、有望な商品はその地方の商人への委 託商品として商いを行った。

外村與(与)左衛門家は、「他利自利」「自然成行」の精神で幕末明治の動乱、恐慌、戦争、流通革命など幾多の苦難を乗り越え、現在、総合繊維商社「外与株式会社(外与)」として創業から300年を迎えた永続企業である。外与の経営は、長い卸売り行商を経た後に店舗商業に移行しましたが、店舗開設の前(天明6年、1786年)から、すでに決算帳簿を複式簿記の原理を導入して記帳する段階に到達していたことが特徴である。決算書の性格を持つ「売買金銀利合記」では、損益計算書と貸借対照表に相当する複式計算が実施され、早い時期から経営合理性や堅実さを併せ持っていた。

十代目外村與(与)左衛門応信によってまとめられた商い全般についての家訓「心得書」は、店中の和合・先例の遵守・取引の原則・日常の心構えなど、44条にも及んでいる。「心得書」は、当時、店員の心得として毎年正月元旦に支配人が読み聞かしていた。
この中から、商いの原点を振り返る時の拠り所となる驚きの条文をいくつか見ていく。

外村与左衛門家蔵 「心得書」安政3年正月制定1.取引についての心構え...「天性成行きに随い」「遠き行末を平均に見越し」古来より我家相伝之欠引方、自然天性にして我勝手斗りを斗ひ候事一切不相成、自他共ニ弁利ニ相成候事ヲ深ク考江勤メ行可致事也、只天性成行ニ随ひ、家之作法其筋目ニ不違様、目先之名聞ニ不迷、遠キ行末を平均ニ見越、永世之義ヲ貫キ可申斗ひなり、是別先祖代々思召、退転なく今に相続いたす所也、

我が家に代々伝えられてきた売買取引の駆け引きの方法は自然天性であり、自分勝手な判断で処置をすることは一切厳禁である。自他ともに利をわきまえて成り立つよう深く考えて勤めること。ただ、自然天性、成り行きに従い、家の作法の道理に違わないよう、目先の世評や名声に迷わされることなく、長期の行末を平均に見越し、永世の義(人の道)を堅持すること。これは特別、先祖代々のご意向であり、怠りなく受け継ぐように勤めること。

目先の高下を争ひ諸人の気配ニなづミ、平生ニ只烈為売買を好如何にも欠引達者ニ相見江え様名聞人並みの働振りヲ好ミ候事、誠ニ危、始終ヲ取り留め候事なく一生損益共に不定の斗ひに苦しみ安心ならざる事、如何にも残念千万能々思惟致すべし(中略)総じて見切り悪しく見通し疎きものは商人の器にこれ無く、誠に危うきこと也、

目先の高下を争って人々の行動や気配に慣れ、いつも派手な売買(相場)を好み、それがいかにも取引の駆け引き上手のように見えたとしても、世間は人並みの働き振りを好むものである。一生涯、目的のない不安定な駆け引き事に苦しみ、安心を得ることはできない。いかにそれは大いに残念であること、よくよく考えること。(中略)総じて、先の見通しが悪く、しかもその見通しすら知らない者は「商人の器にあらず」、誠に危ういことである。

売買共見越の取計い堅く相成申さず、平日に買持は堅く致す間敷候事、当家先祖より伝来の駈引は、売買とも天性成行に随い、先々の気分に順し、相手少き時に買入いたし候へば、売人も悦び申すべく、また、先々望取候節に売り惜しみなく売り払ひ候へば、得意も弁利を悦び申すべし、これ家伝極意の心得肝要たるへき事

売買共に見越して取引することや必要のない時期においての買い占めは厳禁である。
先祖伝来の駆け引きは、売買ともに自然天性の成行(なりゆき)に従い、先々の状況に順応し、仕入れについては、競争相手の少ないときに買い入れをすれば、売るほうは喜ぶ。先方が望むときに売り惜しみなく売り払えば、得意先も喜ぶものである。売買ともに相手の立場を尊重することが、家伝極意の大切な心得である。

2.仕入れの方法...良質の商品を安く仕入れ不要な人気商品を高値で買い置きしない買物は総じて諸人望み取り申さざる時節を相考へ、自然下直の品を能々吟味いたし、売場必ず入用の品ばかり相選み、買入れ置き、自然得意望み取り候時節の用意いたすべき事、(中略)
必ず諸人望み取り高直の時節に、差し当たり入用これ無き品は、決して買持ち致す間時敷事

買い物は総じて人々の望み通りにはいかないという時節をよく考え、値が下がった商品をよく吟味し、売場には必ず顧客に必要な商品のみを選んで仕入れ、得意先の希望に沿ったものを買い置きすること。(中略)
くれぐれも、今、人気商品だからという理由で、高値の時期に当面必要のない商品を決して買い置くことをしてはならない。

3.売りて悔やむこと...目先の値上がりを見込んで売り惜しみしてはならない売方は総じて諸人望み取り候時節、有物決して売り惜しみなく買人の気配に順じ、時節の相場たとひ不引合たりともその時の成り行き相場次第相働き、必ず損得に迷はず諸人の望取候節その図をはづさず順々に売り払ひ申すべき事、

兎角当然之利益を好み、末に至り、我も人も不足なる事を弁ざるは、小人之愚なる取計ひにして、取るに足らざる小逆敷事也、急度相心得可き也、

売りて悔やむこと、商業の極意肝要に相心得申す可く候、決して目先を見込みに、売り惜しみ強気の取り計らひ致すまじく候、世間望み取り候節々売り惜しみ、品物不弁利にいたし候事、天理に背き且つ家風に背き甚だ以って心得違ひ也、

たとひ強気見込みの取り計らひにて利益多少にこれあり候とも、自然自利他利の弁利を知らざる道理故に、決して永続長久の見通しこれなく、これによりとりわけ目先当前の見込み見越しの取り計らひは、家法として古来より堅く申し合はせの通り急度相心得申すべき事

販売についての心得は、仕入れのときとは逆で、顧客の望むときに売り惜しみをせずに、そのときの相場による損得に迷わず、順々に売り渡すことである。

売り手は、総じて人々が希望する商品を希望する時期に決して売り惜しみすることなく、売る時期の相場が仕入れた時期よりも低くても高くても(不引合)、その時の成り行き相場次第でもって販売し、必ず損得に迷うことなく人々に順々に売り払うこと。

とにかく、目先の利益に目がくらんでしまい、それが結果的に自他ともに不満足となる事とをわきまえない商いは、取るに足らない悪賢い行為であると心得ること。

「売りて悔やむこと」、これが商いの大切な極意であり、心得ておくこと。目先の利益に目がくらんで、需要のあるときに強気に出て売り惜しむことは品物不足にする事であり、天理に反した家風にも背く心得違いな売り方である。

そのような自分の利益だけを見越した販売は、たとえ当面は多少の利益が出ても、自利他利の道理(相手の立場を考えない)を知らないために永続長久の見通しもなく、目先、自分の利益だけを見越した取り計らいは、家法として古来より堅く申し合わせのとおり厳に慎むように心得ること。

高直にて売り付けその後下落いたし、都合よく売り払ひ候とて利勝を喜ぶこと、尋常人並みにして大きに我身勝手の心得也、得意先々にて自然損失これあるべき事を厭わざる心得不実なり、行く末を思ひ計るべし、(中略)総じて売り物は高直にならざる前より、人の望みに任せて順に売り惜しみなく売り払ひ申すべき事、売りて後に悔やむやうならばさきさきに利益ある也、これ重畳*と相心得、売りて悔やむ事、商人の極意と申す事、能々納得いたし、我も人も無事長久なる事も思惟して専ら勤行いたすべし
*重畳 めでたいこと。たいそう満足なこと。

たとえ都合よく高く売り抜けた後に相場が下落したとき、「都合良く売り払って、あぁ儲けた」と喜ぶような取引は、顧客の損失や心情を無視した我身勝手な取引であり、長続きするものではない。
その身勝手な取引が、各得意先にて自然損失を招いてもかまわないという心得は誠実ではない。その行く末をよく考えてみること。

(中略)

総じて、売り物は高値になる前より、買い手の望みに任せて順に売り惜しみなく売り払うこと。売り手が、「安売りし過ぎたかな」と悔やむような取引であれば後々に利益があり、これは満足なことと心得ること。(このよう販売の仕方をしておけば、双方ともに満足するから取引は長続きする。)

「売りて悔やむ事」これ商人の極意であり、そのことをよくよく納得し、自他ともに将来を考えた永続的な取引を考えながら、ひたすら仕事に励むこと。

4.始終平均のものと知る...どうにもできない相場や物価の変動は長期に平均的に見る品により不時なる直合の損益これあるべく、これは商人の常なり、必ず高下に迷ひ心配致すべからず、いかほど家風相守り、手堅く計らひいたし候とも、直合は天性成り行き、損もあればまた益あるべし、これにより計らざる利益あるともわけて喜ぶへからず、損も取りわけ心痛あるまじく、高下は冥利の外に始終平均のものと知るべき事

商品によっては相場や物価変動で思いがけない損失や利益の出ることが商人の常である。従って、その高下(変動)に迷い振り回されて心配してはならない。

どれほど家風を守って手堅い商売をしていても、相場や物価というものは自然の成り行きであって、特定の商人がどうこうすることのできないものである。

時によって損もあればまた益もあることは避けられない。これによって思わぬ利益があったとしても喜んではいけない。また損失があっても取り分け心痛することはない。

相場や物価から受ける高下(変動)は、神仏から受ける恩恵「冥利」の外に、「長期的に見て始終平均のもの」と知るべきである。

5.深く驚くべからず......避けることのできない災難や思わぬ吉事に一喜一憂しない天災変事これあり、計らざる損失これあり候とも、深く驚き申すまじく、後日の心得次第にて、また幸の儀これあるべく、尚又計らざる吉事あるとも強ひて喜ぶべからず、人間万事塞翁の馬、自然後日変あるべき事を兼ねて思案いたすべし

天災や変事は突然に襲ってくるものである。だから、思わぬ損失があったとしても深く驚くことではない。また、予期しない吉事があっても、あまり喜ぶものではない。吉凶は、人間塞翁が馬と同様に間単に定めがたいものであり、後日になって自然に変動が生じる事をも合わせて考慮すべきである。

6.節約とケチとの違い...慈悲心、思いやりの心がうすくては人気調いがたし倹約ハ家を守る基ひなれば古風を忘れす万事に気を附聊之品たりとも捨り物無之様相心得可申候身之廻り衣服等之儀ハ常々申渡候通吃度相守申可候事

倹約が家を守る基本であるから、古来からの仕来たり(しきたり)を忘れないように気をつけ、たとえ僅かなものでも一切捨てるべきではないと心得ること。身の回りの衣服等はいつもきつく言い聞かせている通り、節倹を守ること。

倹約と物を惜しむと混じやすく急度相心得すべし、倹約の仕様ニ寄り、物をおしむに至る。是吝嗇身勝手なり。慈悲心薄クてハ、人気調ひがたし、能々思慮致スべし

倹約することと、吝嗇とを混同してはならない。吝嗇とは、何事につけても、むやみに金品を惜しむこと(ケチ)をいう。倹約も仕方によってはケチになる。思いやりの心、慈悲心が薄くては「人気調いがたし」として、度を過ぎた物おしみに陥ることを戒めている。

7.正直正路の経営...商人の道もまた「正直の徳」以外にない凡人之道として貴賤共に正直ニして苦労ヲ致さねバならぬ筈ニ候、若キ時より早く此事を存知候者ハ人之道ニ叶ひ必立身致ス事ニ候、常々此事を不忘精心ヲ尽シ勤申へく事

(奉公人一般に対して)人の道として、貴いこと卑しいこと、ともに正直にして苦労しなければならない。若い時から早くこのことをわきまえた者が人の道に叶い必ず立身出世する。いつもこのことを忘れないよう精心を尽くし勤めること。 〔立身することが人の道に叶うことを強調している〕

人並之働キ無之者ハ尚々心正敷致べし、自然其志に感じ、人におもわれ候得バ、重キ役にも趣なり、尚又、其身其身之重役を大切に心得、我ニ器量有とも必ほこり申間敷候、弥々礼儀正敷致べし、是を慎ざれバ不和合之基ひ、災ハ下よりおこると申事也、其者身分にかかわり安き事を常々相心得急度相慎可申事、

未熟者は、さらにいっそう心を正しく持つこと。すると自然にその志を感じる者が現れ、立身出世にもつながる。なお、また自分に課された重役(役割)を大切にし、自分に謙虚でなければならない。ますます礼儀を正しくすること。これを怠ると、不和合が基で災いが下より起こる。その災いは身分にかかわりやすいことをを、いつも認識しておくこと。

人をそ志り告ゲ口カゲ口堅ク申間敷、常々蔭日向無之様相嗜申べし、正からざる心得有之バ人之道に不叶、末難成之基ひなれハ急度相慎可事

人を誹ったり告げ口や陰口を堅く禁ずる。いつも陰日向(かげひなた)なく正直正路に、正々堂々と暮らすことが大切であり、「正しからざる心得」があれば、人の道にも背き。末に至り成功もおぼつかないので慎むよう、厳しく戒めている。

8.身の程(みのほど)をわきまえた経営......過ぎたるは奢り。奢りは無礼である。一統末々ニ至迄、分限を相弁江家之道を堅固ニ 相勤、我身我身之行末善を好と悪を好との其報ひ有事深知べし、......

一統、末代に至るまで、分限、すなわち、身の程をわきまえて堅固に経営すること。自分の行く末は、善いことも悪いこともあることを深く知ること。身の程を知って物事に対処すれば人間関係を円滑にでき、礼の道に適う。分限に過ぎた行為は奢りであり、奢りは無礼である。

家之乱ハ奢より起と申事ニ候得バ、主(おも)たる者ハ尚更深ク相心得、増長致さざる様慎べし、諸寄進向等之儀ニテモ、前々より仕来り振合を以取計可申事、善事ニテモ表江 顕れ候事ハ、其模様計ひ方に寄テハ、家相続之差障ニモ相成候儀ニ候間、深ク相心得控目之取計肝要ニ候、乍併、極秘ハ表江顕れ不申儀ニテ、急度為筋と存候得バ世間ニ不拘、寄進施等精々相談之上取計可申事

家の乱れは「奢り」から起こることを深く心得て、増長しないように慎むこと。多方面の寄進等についても前々よりの仕来り(しきたり)の振り合い(他とのつりあい)をもって取り計らいをすること。
いかに善いことがあっても、その善事が外へ表れるものは、その模様や取り扱い方法によっては家相続の差し障りにもなりかねない事にもなるから、深く心得て、控え目にすることが大切である。
しかしながら、極秘にしたものは、表面化しないので、善い事(為筋)と思ったら、世間に遠慮せずに寄進・布施等、できるだけ相談して取り計らうこと。

主人之徳ヲ我威勢と心得違すべからず、能々思慮すべし、今主人の御陰ニて生成いたし漸商内向之用ニ 立候様ニ 相成候を了簡違致し、もはや我才器ニて何事も出来ル様ニ相心得、主人之徳にて取引向総て世間より候へは、我之徳、威勢有ル様ニ心得違いたし、我身をほこり、色々気随之振舞有之事以之外次第なり、能々我身を返り見るべし

従業員は、主人の徳を我が威勢と勘違いしてはならない。今日、自分が一人前の従業員になり得て、商内が出来るのは主人の威徳のお蔭であることを了簡違いして、自分の才器がすぐれていると思い上がって気ままに振る舞うことはもっての外である。よくよく我が身をかえりみること。

仕来りの家業も世事の移り替るに随い異なり、一同熟読の上時宜※に改革すべし、尤古格*先例必ず遺失致すべからず、家の作法堅く相守り、日々新に勤儉致す可く候事
※その時々に応じた  *古くからの格式

しきたりある伝統の家業も、世間が移り変わるにつれて異なってくる。一同、熟読してその時々に応じた改革をすること。古来からの格式や先例(これまでのしきたり・規範)を決して忘れてはならない。家の作法を堅く守って毎日新たに勤勉・倹約に努めること。

支配人ハ惣躰之重役なれハ、万事心ヲ配リ差障リ無之様身心堅固ニ持べし、支配中ニ自然心得違之者出来候ハヾ支配人不行届キニ茂可相成道理、必無油断人の生質ヲ見立、忠孝明徳之道理ヲ相心得、皆々順当ニ立身いたし候様能々申諭スべし、若家風ニ相背キ心得違之者有之不得止事ヲ候ハヾ、決而用捨致間敷事(後略)

支配人は総じて重役であるから、どんなことでも心を配って、心身を堅固に保つこと。下位の者(奉公人)の気質を見立て、忠孝明徳の道理を心得て、他の奉公人たちもみんな順当に立身するように申し諭すことが職責のひとつである。家風に背いて心得違いをした者が問題事を起こしたときには、決して許してはいけない。

「立身」とは、「人之道」に叶った結果を示すものと諭していることが読み取ることができる。
「人之道」は、忠勤や親孝行を前提とするものであり、「天」は、それらの行為を愛憎をもって見ていると考えていた。

家風に合わないので断らざるを得ない...尾張藩資金調達拒絶事件

天保13年(1842年)、藩財政が緊迫して苦しい状況あった尾張藩は、念願の近江八幡を領地とすることに成功。その翌年に、地元の近江商人である梅村甚兵衛や岡田小八郎らの有力な近江商人を世話方とした調達講(貸金組合)を組織させ、尾張藩は3万1,000両を入手した。

尾張藩は、嘉永2年(1849年)に再び近江八幡で資金集めの調達講を西川屋善六、菊屋九右衛門を世話方として組織をつくった。この時の調達金の申し付けを外村与左衛門家が拒否し、そのため調達講が不成功となった状況を、世話方が尾張藩へ報告した古文書の収録内容は次の通り。
(近江商人事蹟写真帖 昭和2年 滋賀県経済協会発行)

「この種の講の加入は、家風に合わないので断らざると得ない。権門(賄賂)や大名への貸し付けもお家の法度(禁じられていること)なので断らなければならない。先年の名古屋商人を介して調達講への勧誘も同じ理由でお断りしたところ、御奉行は大いに立腹したと聞いている。講に加入しない以上、名古屋城下への立入を封じられてもそれは覚悟の上である。ところが、またしても今度は八幡町から誘いがあったのは心外である(中略)。
それにこのように二度までも調達講をお断りした以上、外村与左衛門は名古屋での商売を差し止められることは覚悟している。しかし、このような理由で外与が立入禁止となれば、他の近江商人の出入りも次第に少なくなり、ついには尾州名古屋は衰退するであろう。」

外与の主張は、たとえ尾張藩のご威光といえども、経済原則を無視した強権的な経済政策は、決して成功するものではないと進言をしている。また、近江商人は、誠実な商業精神に則して商売をしており、そのような不当な要求を拒否する気概を持たねば商人でないとする堅い意志を述べたものである。

ある火災事件から知る、近江商人の他国活動について

一、弘化二乙巳正月廿四日、江戸新堀御殿様御中屋敷御類焼ニ付、献金仕度左ニ乍恐以書付申上候
一、金高弐百両也
    内金八拾壱両也  外村与左衛門一統
           内訳  外村宇兵衛  拾六両弐分也
                外村与左衛門 三拾三両弐分也
    外村□□ 拾両也
                外村□□   二拾四両也
                   □      七両也
  右ハ一統衆積立金□□□付と申差上申候、以上
    同金四拾弐両也 中村治兵衛一統
    同金弐拾弐両也 須田彦次郎
    同金拾七両也  中村四郎兵衛
    同金弐拾八両也 塚本茂右衛門 川嶋源左衛門 金拾四両つヽ
    同金拾両也   竹中忠右衛門

天保13年「先祖代々伝来記 巻五」外村与左衛門文書

弘化2年(1845年)、領主の郡山藩の江戸中屋敷が火災(類焼)に遭った際、郡山藩領への献金200両のうち、外村家一統は81両(40.5%)を負担した。2位の中村治兵衛一統の42両を大幅に上回っており、当時、郡山藩領の中でも大きな勢力を占める近江商人であったことがわかる。

注目されるのは、外村家一統は「一統衆積立金」として14両が献金されており、非常時に備えて共有財産が存在したことは、外村一流の結束の固さを示すものである。

領主に対する献金などを通じての貢献が、近江商人として他国での活動を保証するものでした。領主の下向(江戸参勤)、屋敷の類焼、御用金などの要請に対応し、その一方で、紋付・袴地・小袖・酒肴などの品物、苗字帯刀、大庄屋格まで得ていた。

このような領主との関係が、近江商人の他国商売を禁じて領内の百姓稼業に従事させ、その商業能力を取りあげてしまうよりは、建て前として近江商人を領民百姓として把握し、あくまでその余業として他国商業を認めている背景として存在していたといえる。

従って、あくまで建て前である百姓身分を堅持しなければならず、他国商売は領内において一人前の百姓稼ぎを行った上でなければ、領主側も認めるわけにはいかなかったのである。

外村吉太郎家の「箴言」(しんげん)

「箴言」(しんげん)
一、 互譲以テ相和シ業務ニ努力スベシ
一、 今日成シ得ベキ事ハ明日ニ延バスコト勿レ
一、 正シキ心掛ヲ以テ身ノ潔白ヲ保ツベシ
一、 言行ヲ慎シミ無益ノ交ヲ爲スコトナカレ
一、 温顔以テ人ニ接シ心ノ平静ヲ期スベシ

外村宇兵衛家は、外村(輿)与左衛門家から享和2年(1802年)に分家し、その宇兵衛家から、明治28年(1895年)に分家したのが外村吉太郎家である。
明治40年(1907年)に独立。東京日本橋と高田馬場に呉服木綿問屋を開いた。

明治43年に定めた外村吉太郎商店「店規則」は全26カ条あり、第1~3条は次のとおり。

「店規則」
第壱條 業務ニ勉勤シ商店ノ利益増進ヲ計ル可シ
第弐条 得意先ハ勿論取引先下職ニ對シテモ言語動作ヲ慎ミ大切ニ應接可シ
第参条 火之尤ヲ注意シ毎夜戸締厳重ニ成ス可シ

外村宇兵衛家の家訓

初代外村宇兵衛は、安永6年(1777年)に外村与左衛門浄秋の末子として生まれ、享和元年(1801年)に与左衛門家から元手金1,000両(60貫目)を譲り受けて分家した。安政3年(1856年)8月制定の家訓は、同時期に本家の外村与左衛門家においても「心得書」「作法記」が制定されており、両家にとって経営上ひとつの転機となった年であった。

「家 訓」......家訓の概略は次のとおりである。
一、凡人は忠・孝・仁・義・誠の五道に基づいて行動しなければ何事も成就しない。まず、「忠」であるが、従業員は奉公した日から我が身は自身のものではない。主人に差し出した身であるから、私心なく、主家の繁盛することを第一に、与えられた仕事に励み、事に当たっては体も心も打ち捨てることさえ惜しんではならない。また、たとえ事が成就しなくても、不足心を起こすことなく、逆恨みもせず、率直な気持ちで、ただ仕事を丹念に、油断のないようにしなさい。

一、「孝」は、すべての善の素で、最も大切なことである。孝というのも忠というのも、本来は一緒で、親に従うこと、主人に仕えることをいう。両親は、主家の商売に精通して無事にひと通りのことを終了し、世間で一人前といわれるようになるために遠方をいとわず奉公に出したのであり、その父母の心に違わないことが孝である。忠を思えば孝に至る。

一、「仁」は、生まれながら持った徳を大切にし、私欲を起こさないことである。商いの道に利益を求めることは当然であるが、時として仁道を忘れ、非道に走ることがある。これは慎まなければならない。御公儀でも仁道をもって民を養われているわけで、そのおかげで平安に家業を営むことができる。この恩を大切に、わずかといえども非道のないようにしなさい。

一、「義」は、誤りのない大道に徹することをいう。ともかく一度決めたことは、揺るがせることなく、鉄石をも通す勢いで取り組みなさい。主人と相談して取り決めたこともそのとおりである。働く人は常に言葉を慎んで、先人の残された行跡や名句を味わい、曲がった心があればこれを改め、人の悪を観ては自分を省(かえり)み、人の善を見てはこれを真似ていれいると、自然に邪心は遠ざかって魂は洗い清められ恥ずかしくない人になる。

一、「誠」は、天の道である。誠を思う心は人の道である。天下の交易売買も、この誠の一字をもっていれば滞りがない。人の道としてこの誠に勝る重要なものはない。仲間や友達・同志との間でも、この誠意を尽くしなさい。仮にも偽り事を隠し欺いてはならない。総じて心を隠し欺くことから始まり、表向きはあでやか・素晴らしいことを言っていても、一度、疑心が生じるとそれが大きな難事を引き起こし、すべてが崩れる原因となる。奉公人は「堪忍」の二字を大切に、謙遜する人を尊敬し、若い人にあわれみの心をもって接し、引き立て、嫉妬や偏執の心を除き、和順に相応して、ひとつの企て事(たくらみ)もないよう互いに努力しなさい。

以上の五道(忠・孝・仁・義・誠)をよく心掛け、我が身を修め、質素倹約はひとときも怠ることなく、華美な格好をして人に見せたいという心を遠ざけ、身分相応の風俗を身にまとい、身に過ぎることは恥ずかしいことと心得なさい。

倹約とは、十必要なものを八分で済ますことである。身の誤りは酒によって始まり、奢りはこの程度のことならと思ったことから始まるので慎みなさい。

とりわけ、我が身不相応な衣服・懐中・手道具類など益のないことにお金を費やしてはならない。年功に従って与えた給金分は積み立てて、身を修めることに精進しなさい。

質素倹約を守り、忠・孝・仁・義・誠の五道に基づき、怠慢のないよう各人が身を修め勤労すれば、いずれは誉め称えられるのである。ともかく、忠節を尽くして相励み、この文意を心に銘じて他の誹謗を受けないようにしなさい。
安政三年 丙辰八月

明治の「行定之事」と「心得書」...外村宇兵衛家

初代外村宇兵衛は、安永6年(1777年)に外村与左衛門の末子として生まれ、享和元年(1801年)に与左衛門家から分家。

明治22年に、本家外村与左衛門家において、資産減少や家業に危機を迎えたため、「各分家一同并出勤ノ者集議シ、従前家法制則ス」(外村家乗資料 別記第2)として、安政3年(1856年)に制定した「心得書」「作法記」の主旨を新たに見直しをした。

外村宇兵衛家など分家を中心となり、まず「行定之事」を取りまとめた。「行定之事」は、10カ条の家督相続に関しての細かな取り決めをした上で、次のように定めている。

「行定之事」10カ条(相続人や家督相続に関する取り決め)

「右ノ条々堅ク相心得、決シテ無益の費無之様専ラ倹約可候、若時ノ主人心得違致シ家法不取締ノ義有之時ハ、分家出勤ノ者ヨリ急度相諭シ、不用ハ早ク隠居為致ベシ、

家ノ主人タル者ハ其家法則ニ応ジ自信教人信ノ意ヲ深ク思慮シ、家業ニ於テハ兼々控書ノ通リ自利々他ノ道理ヲ分別シ、以テ永遠ノ良策ヲ計ルベシ、

将商内向不引合ニテ勘定相立兼、不都合ノ節ハ本家都テ身分手当急度減少致スベシ、尤其節ニ至リ万一過分ノ人数ハ減ジ候トモ、給金等ハ定メノ通リ決シテ減ジ間敷候事

10カ条の家督相続のこときちんと心得て、決してムダ使いしないよう倹約に努めること。

若い時期の主人が心得違いして家法を厳守しないことがあれば、分家が家法を守るように諭し、それでも守らないときには、隠居させるようにすること。

家の主人たる者は家法の真意を深く思慮して、家業においては、かねての控書の通り、「自利利他」の道理をわきまえて永続的な良策を実行すること。

商売がうまく行かないときには、たとえ本家であっても身分手当を少なくすること。

もっとも、その時でも人員削減したとしても給金については定めに従って支払い、決して減らしてはいけない。

「心得書」明治34年制定一 平生ハ我好ム処ヲ慎ミ、専ラ我意ニ嫌ヘル所ヲ可務事

一 倹約ハ家ノ守ル基ナレバ、古風ヲ忌(忘)レズ万事ニ気ヲ附ケ、聊ノ品タリトモ廃リ物ナキ様相心得可申候、身ノ廻リ衣類等ノ 義 ハ常ニ申渡候通リ屹度相守リ可申事

一 上下ノ差別ヲ相弁ヘ、兼々申渡置候通リ出勤者ヲ始、子供ニ至ル迄、上ヲ敬ヒ下ヲ憐ミ、行儀正敷慇懃ニ可致事

一 人ヲ誹リ告ケ言堅ク申間敷、常ニ蔭日向無之様相嗜ミ可申、正シカラザル心得有之バ人ノ道ニ不叶、末難儀ノ基ニナレバ急度相慎可申事

一 一統末々ニ至ル迄、分限ヲ相弁ヘ家ノ道ヲ堅固ニ相勤メ、我身々々ノ行末善ヲ好ムト悪ヲ好ムトノ其報アルコト深ク知ルベシ、亦一ツ家ニ住合シ候事ハ深キ因縁有ル事ハ常々教ノ通リ、此儀能々相弁ヘ、家内和熟ヲ本トシテ何事モ堪忍致合可申ハ勿論、我ニ器量アリトモ必ズホコリ申間敷候、是ヲ慎マザレバ不和合ノ基、禍ハ下ヨリ記ルト申事、常ニ相心得急度相慎可申事

一 商内不入精ニシテ此上ハ致方無シ抔候者ハ、役柄引下ゲ可申事

一 取引向ニ於テ或ハ親類縁者ノ儀ヲ以テ、依怙贔屓ノ取斗決シテ致間敷候、惣テ取引向平等心ヲ以テ、聊差別無之急度相心得可申事

一 惣テ其掛リ々々ニ片寄候事アルベカラズ、諸向共我身ノ手元同様ニ相心掛ケ、決シテ隔意ナク一味ニ相心得、店中子供ニ至ル迄諸事油断ナク相心掛候申諭スベク、我身ノ為忠勤怠ルベカラザル事

一 重役ノ者ハ万事ニ心ヲ配リ、差障リ無之様身心堅固ニ持ツベシ、在勤中自然心得違ノ者出来候ヘバ、重役ノ不行届キニモ可相成道理、必ズ無油断人ノ性質ヲ見立、忠孝明徳ノ道理ヲ相心得、皆々順当立身致候様能々申諭スベシ、若シ家風ニ相背キ心得違ノ者有之候ヘバ、決而用捨間敷候事、惣テ重役ノ者ハ尚々店一同ノ見習ニモ相成候ヘバ、着用手廻リ万事目立不申様相慎ミ、高風堅ク相守リ申スベシ

一 世評風説何ニ寄ラズ人ヲ誹リ人ノ非儀タル中言ヲ申参リ候共、必ス一応ノ儀信ズベカラズ、人口恐ルベシ、何事モ家事家業ノ外ハ若シ聞クトモ、無益ノ事ハ聞流シ可致事

一 家相談ハ守ラザルニ在リ、必ズ其家ノ作法ノ仕来リノ儀ヲ心得違無之様大切ニ相守リ、精勤ヲ致シ、君ヲ思フハ我身ヲ思フナリ、能々思慮シ只家法ヲ守リ、専ラ勤メテ無事長久ノ計怠ルベカラズ

一 家ノ乱ハ奢ヨリ起ルト申事ニ候ヘバ、重タル者ハ尚更深ク相心得、増長致サヾル様銘々相慎ミ申スベシ

一 得意先ハ勿論、取引先出入方ニ至ル迄、必ズ慢心ノ言バ遣ヒ急度相慎ミ申スベシ、惣テ我身ヲ誇リ高ブル事ハ愚ニシテ不徳ノ基ナレハ、必ズ我身ヲ忘レザル様常ニ相心掛ケ可申事

右明治三十四年一月廿一日 □有慶老人御携被下しニより写取置候也
元 明 誌

一 普段は、自分の好むところを慎み、もっぱら自分の嫌なことを率先して勤めること

一 倹約は、家を守る基であるから昔からのやり方を忘れず、すべての事に気を付け、どのような品であっても廃棄することのないよう心得ること。衣類等の身の回り品については、いつも言っているとおり厳守すること。

一 身分の上下の差別を十分にわきまえ、いつも言っているとおり、出勤者や子供に至るまで、上を敬い(うやまい)下を憐れみ(あわれみ)行儀や礼儀を正しくすること。

一 人を非難したり、告げ口を堅く禁ずる。いつも陰日向(かげひなた)ないように気を付けること。正しくない心得があれば、それは人の道に叶うものではない。行く末、苦しむ基であるから、必ず慎むよう申しつける。

一 一統、この先ずっと、身分・身の程をわきまえ、家風を堅く守ることに勤め、自分の行く末が良いことも悪いこともあることを深く知ること。また、みんなひとつ家に住んでいることは、何か深い因縁のあることを常々より教えているが、このことをよくよくわきまえて家内仲良く親しむことを基本として何事も我慢することはもちろん、自分に器量があったとしても、それを自慢してはならない。これを慎まないのは不和合の基である。わざわい事は下より起こるを常に心得て必ず慎むようにすること。

一 商いに精を出さず、改善もみられない者は役柄を引き下げることもある。

一 取引において、例えば親類縁者の義理だかからといって特別扱いをしてはならない。総じて取引は平等心をもって、いささかの差別待遇してはならないことを必ず心得ておくこと。

一 総じて、偏った仕事の取り組みをしてはならない。いろんな事があっても自分のことと同じように心がけ、心をへだてることなく公正であることを心得ること。この事を店中の子供に至るまで全員が油断することなく心がけることを教え、自分自身のためにも忠勤を怠ってはならない。

一 重役の者は万事に心を配り、差し障りのないよう、しっかりとした心身を持つこと。仕事中、自然に心得違いの者が出てきた場合、それは重役の不行き届きとなるのが道理である。人の性質を見立てて、忠義と孝行、正しく公明な徳の道理を心得て、皆が  順当に立身できるよう油断しないできちんと教えること。もし家風に背く心得違いの者がいれば、決して放置してはいけない。総じて重役の者は、店一同の手本となるので衣服や身の回りの着用は目立たないようにし、すぐれた人格をを堅く堅持すること。

一 世評や風評に寄らず、人を非難し、非儀であるといった発言も受けることもある。これらの言葉を信じてはならない。人の言うこと、恐るべし。何事も家事家業の外の話を聞いたとしても、無益の事は聞き流すようにすること。

一 家の相談事は、守らないことにある。必ず家の作法やしきたりを心得違いのないよう大切に守って精勤し、主人を思うことは我が身を思うことである。そのことを十分に思慮し家法を守り、末永く無事に勤務する努力を怠ってはいけない。

一 家のもめ事は、奢りより起こる事を申し伝えているが、重責を担う者は更にそのことを深く心得る事。傲慢にさせないよう、それぞれ慎むこと。

一 得意先はもちろんのこと、取引先の出入業者に対して、慢心した言葉遣いは必ず慎むこと。総じて自分自身を自慢する事は、愚かで不徳の基であるから、自分の立場を忘れないよう、常にそのことを心掛けること。

〔職階制度〕
まず、「丁稚(でっち)」は、10歳前後で採用・雑用に従事、次に「手代(でだい)」主に販売部門担当、さらに「番頭(ばんとう)」主に仕入れ部門担当、そして「支配人」商内活動責任者、「後見支配人」出店全体の監督者、「主人」家の最高位。

典型的な近江商人とは

1.近江に本家(本宅・本店)を置いて他国稼ぎをしていた
2.創業期には行商(旅商い)をしていた
3.商圏の拡大とともに全国に出店を設けていった
4.薄利多売で、さまざまな商品を取引していた
5.共同経営形態(当時の言葉で「乗合商い」「組合あきない」)や複式帳簿などの近代的な経営を行っていた
6.勤勉・倹約・正直・堅実といった商人精神に支えられて、陰徳善事の実践者であった

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