商いの基本姿勢...塚本定右衛門家

神崎郡川並出身の塚本定右衛門家の初代定右衛門定悦(じょうえつ)が、甲府で小間物問屋を開業した文化9年(1812年)に創業。初代は、得意先の利便・利益を図る対応が、自分にとっての富の源泉であるとして、天保10年(1839年)51歳の時に詠った教訓歌で、自分の利益を遠くに見据える商道を教えてくれる。

おとくいのまうけ(儲け)をはかる心こそ我身の富をいたす道なれ

家業を継いだニ代目定右衛門定次は、明治という新時代に適応した体制を築くために、明治2年(1869年)の正月に商いの基本姿勢を示した「家内申合書」を制定した。

座右の銘......〔薄利廣商

「家内申合書」★顧客満足の徹底追求
一 旅方においては、御得意先のため派口のよろしき代呂物を大山にして、売りきれ物なきやう注意し、御注文の節は、聊たりとも捨置かず、はやく御間に合せ申へし、御店へ参上の時、行儀正しく御店中をはしめ出入方迄も厚く敬ひ申すべく候、万一間違事出来候とも、高声に争はず、その時の重立たる人に談しあひ、不都合これなき様にはからふへし、左候えば、天理として自然に商ひ高も増し、随て利益も多かるべきに付、能々相心得へし

行商先では、得意先のために品質の良い商品を十分に用意して、売り切れのないように配慮し、注文はいささかも放置することのないよう、早く間に合わせるようにすること。

得意先のほうから来店した場合は、店員や出入り職人も礼儀正しくしなければならない。

万一、商談の際に間違い(行き違い)があったとしても、声高に言い争いをすることなく、上司の店員と相談して不都合がないように処置すること。そうすれば、売上高も自然に増加して利益も増えるものと心得ること。

★予期しない災難に遭ったときの対応
すべて物ごと手堅く致し候とも、思ひの外なる損失来る事あるものに候、古今の歴史に鑑みて知るべし、いかなる因によりてか、いかなる縁によりてか、道を守る善人も窮することのあるも世の習ひに候へば、その不仕合の重なりし時に及びても、常々の心を乱すべからず、必ず道に背き、規則を越えるなどの事有るまじく候、投機商類似を羨(うらや)むべからず、一時に利得を得んとして、却て多分の損失をまねく事あり、深く恐るべし、商家の極意は信用を重んじ内外の好評を得るにあり、ただ我身を慎み諸事を約(つづ)めにし、ますます稼穡(かしよく)をつとむべし、然れば家内和合して、天道に合ひ気運徐々に開くべし、永久の心得を相続する人この理(ことわ)りを知るべし

堅実に商売をしていたとしても、予想外の損失を蒙ることがあり、昔からそうであったことを知るべきである。

どんな因果によってか分からないが、いかに道を守ってきちんと生活している善人であっても、重なる不幸に遭遇することもあるのが世の中である。

その時になっても、平常心を忘れてはならない。

商いの道に背いて規則を破る事のないようにし、決して相場や賭け事をうらやましい・手を出したいと思ってはならない。

一時的に儲けようと狙ったとしても、逆に大きな損失をまねくことがある。

深く恐るべし。商家の極意は、信用を重んじて内外の好評を得ることである。

身を慎み、諸事を倹約し、ひたすら家業に励むこと。家の者は互いに和合しながら時節の到来を待つことで、やがてそれが天道に合い、気運が徐々に回復するというのが永久の心得、「ことわり・道理」であることを知ること。

★明治21年5月18日、二代目定右衛門定次63歳は、商家の経営姿勢についての述懐もある。
一 (前略)人を欺むき短尺無幅等の物品なと用ゆへからず、只潜心実地の商業大切にして長久をはかるへし、投機商類似を羡む(うらやましがる)へからず、目下の利を見るも損また大ひなり、物の盛なるは衰ひやすく、商家の極意は信用を重んし内外の好評を得るにあり

短尺物や無幅物など、人を欺くような商品を取り扱ってはならない。
ただ、地道の商売を大切にし、永続性を図るべきである。
投機や一攫千金を狙う商いをうらやましがってはならない。
目先一時的に利得があっても、損失もまた大きいものである。
勢いのある物はまた衰えやすくもあり、商家の極意・本質は、信用を重んじて内外の好評を得ることにある。

★明治33年3月1日付、二代目定右衛門定次の「遺言書」に、次のような条文がある。
一、神仏を敬ひ学事を心懸ること、人道なれども何れ(いずれ)にても過ごせば其身の家業怠り、おのづと異形の人の様になり、神道にたより過ぐれば禰宜(ねぎ・神職の職称)、巫(みこ)の様になり、洋学は徳義を誤り人をあなどり、儒学は理に屈し、仏に心ざし過たる者は出家の如くおのづと商ひ疎く(うとく)なり家滅す、各々それぞれの家業あり、然るに外の事に気を移し代々の家職粗略に致す事神仏の冥慮に叶ふべきや、又神仏の為に金銀財宝を投打ち数多(あまた)の費へ致す事、大きなる非がことならむか、神仏は其人の心に在り、然れば社寺の為に金銀を費すより眷属(けんぞく・身内の者)を賑(にぎ)はし恵む時は一粒万倍の利又功徳広大ならむ、然るをめぐむべきを恵まずして徒ら(いたずら)に僧尼をこやすは非がごとならずや、誠を以て神仏に向ひ奉らばなどか感応なからん、能々(よくよく)此旨存ずべき事

神仏への信心や学問への傾倒も度を越すと、本来の家業を怠ることとなり、正体のつかめない異様な品源となってしまう。

家業を粗略にしながら、高額の金銀財宝を神社仏閣に寄付することは間違いであり、いたずらに僧尼を堕落させるだけである。

神仏や学問は、人の道として敬意ははらわねばならないが、まず家族のことを配慮しながら伝来の家職に励む誠をもってこそ神仏にかなう道である。

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