「商主心法 道中独問寝言」店主の心構え  四代目 矢尾喜兵衛

嘉永6年(1853年)に記録された「商主心法 道中独問寝言」は、四代目矢尾喜兵衛が、道中の合間に店主の心構えについての想念をまとめた文言集で386箇条からなる。  (一部抜粋)

人のものは人のもの、我物は我ものとかたくする人は、諸事不義理なし

奢侈(しゃし)と吝嗇(りんしょく:何でもむやみの惜しむ)は表黒白の相違見へて元同根也、おごる者は必しはし、しはき者(けち)は必おこる(奢る)、是小人の甚き(苦痛)也

弟子を抱きたれば、孝悌(てい:兄や目上の人に素直につかえる)忠信の御教は格別の事、商いの道より先正直の道と物の始末(倹約:使い切る)を教ゆべし

始末倹約して出来たる金子は身代の大黒柱、但し倹約と簡略と吝嗇と此三ツを弁(わきまえる)ふべし

人に物を借る事を苦労に思ひ、何道具物にても曲らさるやう筋目形りに取置する人は、大直人也、懇意にして益あり

倹約を守りものこと始まつよく、ものゝすたらさるやうに心懸居るはよし、只勘定詰にして簡略にはかり心懸居るはよろしからす、商人の身分たりとも多人数を扶持する身は、諸事倹約の中にも公の心持有事をよしとする也

世の中に陰徳を積程の功徳はなし、陰徳あれは必陽報あり、と古人もの玉ふ也、此陰徳を行ふにも種々様々名々あれと、商人たる者は品物を能(よく)吟味致し薄利に売出すか陰徳の随一たるへし、然る時は必子孫長久の種なるへし、又陰徳の上を行功徳と言ふは、必定忠孝の二ツ成るべし

地商人の主人より他国商売の主人は、その身の取締、心の敬み又格別に得心すべき事、他国渡世の身代は一旦不如意に及ぶ時に、再度持起こす事、余程出来難きもの也、能々心得有べき事

商人の主たる者他人子を抱へ給金賄ひ等出すといへとも、これ我か渡世の上なれは尤もいたわり有へき筈の事也、我愛子も他人の愛子も親として子の愛かわる事なし、無理非道の事は申及はす、時におゐて辛抱安からすといへとも、猶(なお)行末の一大事のみ思遣り、偏に人の人たる処へ至らしむる事、主人たる人の第一心得事なり

人のものは人のもの、自分は自分のものときちんと区別できる人は、何事でも正しい筋道・守るべき道を誤ることはない。

贅沢とケチは、表面上は違っているように見えても根本は同じである。度を超えた贅沢(奢り)をする者は何でも惜しむケチであり、またケチな者は必ず奢る者である。これが器の小さな人間の苦痛事となる。

弟子(丁稚)を採用したければ、目上の人に素直に仕える「忠信」の教えはもとより、「商いの道」よりも先に「正直の道」と「物の始末(倹約:効用を最大限に活かし、使い切る)」を教えること。

倹約して築いた財産は、身上の中心・拠り所である。ただし、「倹約」と「簡略(手抜き)」と「吝嗇(何でも惜しむケチ」、この3つ(違い)をきちんとわきまえること。

人から物を借りることは苦痛に感じて、借りた物を壊さないように丁寧に扱う人は、大いなる普通人であり、仲良くしてもよい人である。

倹約を厳守して物の効用を使い切るように心がけることは良い事である、ただ、何でも金銭を出し惜しむ結果、簡略(手を抜く)することを心がけてしまうのはよくない。商人のの身分であっても多人数を扶助・取り扱うのである。諸事を倹約することは、物の効用を活かし人を活かすことであるから、「公」という心の持ち方を良しとすることである。

世の中に「陰徳善事」を積む以上の功徳はない。陰徳があれば次に必ず陽徳があると古人はおっしゃっている。この「陰徳善事」を実行する方法はいくつかあるが、商人たる者は商品をよく吟味して薄利(良質安価)でもって売り出すことが「陰徳善事」である。

その行為が、必ずや子孫永続の基となる。また「陰徳善事」の上位に「忠孝*」という功徳から成る。(「商いの道」よりも、まず「人の道」である) 
*「忠孝」とは、忠義と孝行であり、根本では同一の道徳とされる。孝行が完全なら忠義も全うできるという近世後期の水戸学派が説いた。

地商人(地元現地の商人)の主人よりも他国で商売する主人(近江商人)は、自己管理をきちんと行い礼を尽くし、またこれらをよく承知すること。他国で商いを行う身代は、一度思い通りにならない事態に及んだ時に、再度やり直しをすることはかなり困難である。そのことを、よくよく心得ておく事。

商人店主が他人の子供を採用し給金を支払う立場であっても、親切に世話をするべきである。自分の子も他人の子も親として子の愛は変わるものではない。

無理を押しつけたり人の道にはずれた仕打ちをしてはならない。時には辛抱が大事でありそれは簡単なことではないだろうが、店主は奉公人の行く末を考えて偏った人格にさせないように教育することが、店主の人としての第一の心得である。

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