「奢者必不久」...三代目:松居久左衛門遊見

奢者必不久 (嘉永5年 84歳、遊見の遺訓)
奢れる者必ず久しからず

出精専一之事、無事是貴人、一心、端心、正直、勤行、陰徳、不奢不貧是名大黒
精を出して働くことを第一とすること、これが貴ぶべき人である。一心、まどわされない心、正直、勤め励む、人知れず行う善行、奢らない、執着しない、すなわちこれ商売繁盛の商道である。

三代目:松居久左衛門遊見は、明和7年(1770年)近江国神崎郡位田村(東近江市五個荘竜田町)で生まれた。先祖伝来の農業を本業としながら、遊見はその合間に二代目の父と京都や大阪などを行商に励んだ。40歳の時に父を失い、本格的に家業を継いだ遊見は繰綿・麻を尾州・遠州から仕入れて、信濃や上州、江戸へ持ち下り、生糸・紅花・絹布を信州・奥州から仕入れて、京都・大阪・丹後の地で売りさばいた。その結果、膨大な利益を得た財力で、江戸と京都に出店を設け、江戸店では呉服・木綿・水油・生糸などを取扱い、京都店では呉服・木綿で商いをした。

遊見は、江戸と京都の出店には、有力な番頭を置き、自分は郷里の五個荘で本店を主として働いた。ときどき、店回りを行い、各出店を指揮し、出店の利益金は必ず本店へ送金させた。

江戸より五個荘の本店へ売上金(千両箱)を運ぶ途中、箱根の山中で起こった逸話が残されている。

手代(番頭と丁稚の中間に位置する使用人)に千両箱を持たせて、夜中、ちょうど箱根峠に差し掛かったとこと、たき火をしている2人の山賊に出会った。

遊見は堂々とした態度を見せて、「すまぬが、煙草の火を貸してくれ」と言って近づき、「わしらは疲れているから、この荷物を麓(ふもと)まで運んでくれぬか。駄賃は望みどおりにはずむぞ」と頼み込んだ。

山賊たちは、手代が持っている荷物は千両箱であることを見抜いて、それぞれ1個づつ背負って峠を下って行ったが「1人の山賊が千両箱を背負ったまま、闇の中に逃げていった」

遊見は、少しも動揺せず、追跡しようとする手代に対して、「放っておけ。悪銭身につかずで、賭博や遊女に遣ってしまい、一文無しになるにちがいない。働くことの大切さを知らず、一生を台無しにしてしまうだけじゃ」と言った。

残ったもう1人の山賊は、遊見の大胆な気性に感服し、背中の千両箱を五個荘の本店まで運び込んだ。この山賊の態度に感服した遊見は、自家に引き取り、店の使用人として商いをさせたところ、誠実に取り組み、番頭になり、大阪店を任されるまでになった。

また、資金を融通したのが回収不能になった事件では、遊見はその返済を迫らなかった。訴訟もしなかったのに相手は悪口を叩いたので、店の者は憤慨した。

そのとき遊見は、「自分は相手を見る目が間違っていたのだから、不足は言うまい。相手が幸いにも富を得るに至り、訳のわかる男なら返済してもこよう。それが自分の代でなくても子孫が受ければよい」と言った。

遊見は非常な倹約家であったが、莫大な利益を貧民救済や社会福祉事業にあてた。年貢を納めることのできない五個荘村に貧民には、年貢を代わって納めたり、困窮している人たちや、老人、病気で生活に困っている人には、金品を与えて奮起するように励ました。さらには、道路や橋梁の修復等、巨額の出費を行った。

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