「見聞随筆」による初代小林吟右衛門の発言記録

「我ら細元手の小商人は、人々の力を借りて今日の渡世もする者なり」

初代小林吟右衛門は、近江国愛知郡小田苅村(東近江市小田苅町)で小林重内の次男として安永6年(17777年)に生まれた。小林家は農業のかたわら、縁日商人と呼ばれた零細な商いを営んでいた。寛政10年(1798年)に菅笠や呉服太物を近で行商を始め、その誠実な商いぶりを認められ、豪商:松居遊見から支援を受けて行商先を東海道筋から江戸、奥州・北海道へと販路を拡大した。また、呉服類卸のほか、両替商も営み、吟右衛門が60歳の頃には数万両の資産を持つ豪商となった。

天秤棒行商から豪商へ成功した吟右衛門が、どのような心構えでいたのかを追憶談として語ったものが「見聞随筆」に残されている。これは、吟右衛門な亡くなる4カ月前の安政元年(1854年7月78歳)に述べたもので、四代目矢尾喜兵衛が、同日、吟右衛門(丁吟)本家を江戸為替の取り組み依頼のために訪問して、居合わせた吟右衛門と座段に及んだ。

覚書「見聞随筆」 四代目矢尾喜兵衛天秤棒の商人より出精いたし大身代になるといふ、その様な目当てハほど遠きことにて、思ひて益なし、欲といへども欲にてもあらず、ただ我らごときの細元手の小商人は、人々の力を借りて今日の渡世もする者なり、実意にあらざれば人々力を添え呉れることなし、いかにも他人方へ不義理致さざるやう、人に損失をかけぬやうと、この心得第一とする時ハ、我ら身体を働き苦しめること厭ふことなし、我身を責め骨を折り苦しむ時ハ、人またこれを憐れむ故に、何ほどの身代を望むというふにあらざれども、恵みを以追々立身にもおよぶものなり、しかれども運といふことも全くこれあることにて、世にいふ因縁のよいといふも至て大事のことにて候

天秤棒を担いだような小商人から精を出して努めて大所帯となることを、始めから欲にかられて願望してもほど遠いことであり、そう思っても何の益もない。

自分だけの欲にかられることなく、ただ我らごときの細元手の小商人は、人々の力を借りて今日の商いを続けていく者である。

商いに実意(まごころ)がなければ誰も見向きもされない。

他人への不義理や損失などの迷惑をかけないようにと、この心得を第一すれば、労苦を厭わず懸命に働くことで立派な商人として認められ、やがては相当の所帯を築くことができるものである。

しかし、同時に幸運に恵まれることもあり、世に言う「良い因縁」ということも大事なこととして考えなければならない。

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