ある火災事件から知る、近江商人の他国活動について

一、弘化二乙巳正月廿四日、江戸新堀御殿様御中屋敷御類焼ニ付、献金仕度左ニ乍恐以書付申上候
一、金高弐百両也
    内金八拾壱両也  外村与左衛門一統
           内訳  外村宇兵衛  拾六両弐分也
                外村与左衛門 三拾三両弐分也
    外村□□ 拾両也
                外村□□   二拾四両也
                   □      七両也
  右ハ一統衆積立金□□□付と申差上申候、以上
    同金四拾弐両也 中村治兵衛一統
    同金弐拾弐両也 須田彦次郎
    同金拾七両也  中村四郎兵衛
    同金弐拾八両也 塚本茂右衛門 川嶋源左衛門 金拾四両つヽ
    同金拾両也   竹中忠右衛門

天保13年「先祖代々伝来記 巻五」外村与左衛門文書

弘化2年(1845年)、領主の郡山藩の江戸中屋敷が火災(類焼)に遭った際、郡山藩領への献金200両のうち、外村家一統は81両(40.5%)を負担した。2位の中村治兵衛一統の42両を大幅に上回っており、当時、郡山藩領の中でも大きな勢力を占める近江商人であったことがわかる。

注目されるのは、外村家一統は「一統衆積立金」として14両が献金されており、非常時に備えて共有財産が存在したことは、外村一流の結束の固さを示すものである。

領主に対する献金などを通じての貢献が、近江商人として他国での活動を保証するものでした。領主の下向(江戸参勤)、屋敷の類焼、御用金などの要請に対応し、その一方で、紋付・袴地・小袖・酒肴などの品物、苗字帯刀、大庄屋格まで得ていた。

このような領主との関係が、近江商人の他国商売を禁じて領内の百姓稼業に従事させ、その商業能力を取りあげてしまうよりは、建て前として近江商人を領民百姓として把握し、あくまでその余業として他国商業を認めている背景として存在していたといえる。

従って、あくまで建て前である百姓身分を堅持しなければならず、他国商売は領内において一人前の百姓稼ぎを行った上でなければ、領主側も認めるわけにはいかなかったのである。

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